
勿論今の時代ではありません。私の幼少時代、昭和30年代の話です。当時のタクシーの初乗り料金は日野ルノーが60円、日野コンテッサとダットサンブルーバードが70円、トヨペットクラウンとプリンスグロリアが80円という価格帯でした。殆どの家に車などない時代ですから子供はみんなタクシーが大好きでした。しかし東京には網の目のように都電が走っていたのと料金が高かったので、なかなかタクシーに乗れるチャンスがありませんでした。親に連れられていった先でタクシーに乗れる機会があると大喜びで手を挙げてタクシーを止めるのですが、子供心にも安い方が良いと思い、大声を出して「60円来たよ!」と叫びながら止めていました。親からはみっともないからやめなさいと注意されました。
その後大人になってから仕事以外ではタクシーを利用することはあまりありませんでしたが大トラになって帰宅する時はタクシーのお世話になりました。
注)写真は昔の東京ではなく昔の大阪です。適当なものがなかったので。
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今はどうか?小型タクシーがありました、
子供の頃は オート三輪車に乗っていました、
横にですが、曲がる時などは 大変でした、
古い記憶ですが、その後は ma社のトラックでした、
高い席が 好きです、
シャヤコタンの車は 卑屈になりそうです、
ありがとうございました、
愛新覚羅さま たか
タクシー60円の時があったんですねー。
大人になった今でも、タクシーなんて滅多に乗りません。
田舎なので、タクシーもそんなに走ってないし(笑)
大トラ ってなんだろう?
60円のタクシー、すごいですね、今の時代は考えられないな。以前上海で会社から家までよくのりましたよ、ただ200円ぐらいで安かったです。今の日本はタクシーを乗りたいときにほとんど天気が悪い、天災が発生、お年寄りの方、荷物が多い、大きなお祭り、芸能人かな、日本で普通に乗る人は少ないからこそ高いかな、みんな車を持ってるから。
愛新覚羅さん
こんばんは。
私も昭和34年に大阪の企業に就職して通勤にバスや市電のお世話になりました。
住吉区の万代から阿倍野・大正を経て船出町まで通っており相当時間を要したと思います。
夜遅くなるとバス・市電も無くタクシーの御厄介になったことも有りました。
料金は忘れましたが、懐かしいお話です。
はいばらじじ
はいばらじじ様
コメントありがとう御座います。
懐かしいですよね。そうですか34年にもう仕事されて
いたのですか。大先輩ですね!
これからも懐かしい記事をたまに書きますので
ごひいきにお願い致します。
まいど〜 (大阪風に)
愛新覚羅
こんばんは。
そういえば、西岸良平さんのマンガ(「三丁目」以外でも!)では、よく「円タクで行こうかねえ」なんてセリフが出てきますが、円タクって、もしかしたらこれのことですか?
オイラも東京生まれですが、育ったのは埼玉や千葉で、お子ちゃま時代にはタクシーに乗る機会が少なくて残念でした。
記事そのものは「三丁目の夕日」の世界ですが、写真の方は大阪で、「じゃりん子チエ」の世界かな?