自動車のナンバー制度の経緯

Posted by Two-Pen on 04.2023 独り言(意見) 2 comments 0 trackback
ナンバープレート 自動車のナンバー制度についての歴史のページがありましたので抜粋して記事にさせて戴きました。
 日本で最初にナンバープレートの装着が義務付けられたのは、1907(明治40)年のことでした。その頃は交通ルールが未発達で、公道の事故が頻発したため、新聞で報じられるなどし、特に東京で問題になっていました。そこで、事故を起こしたクルマの所有者を明確にするようにと、4桁の数字を刻印したプレートの装着が義務づけられました。ただこれは、東京都の前身にあたる東京府限定のものでした。

 ナンバープレートの装着が全国的な義務となったのは、それから12年後、1919(大正8)年2月の「自動車取締令」からでした。そのときにナンバープレートの規格は統一され、自家用車は黒地に白文字、営業車や特種自動車は白地に黒文字、さらに地名を漢字の頭文字で表記することが決まりました。戦前の段階ですでに、用途によってプレートの色を分けることや、地名の表記など、現在のナンバープレートに通じる形ができあがっていました。
 さらに、1933年(昭和8)年の法改正で、普通自動車、特殊自動車、小型自動車の3種に分けられ、自家用・営業用の色判別は再びなくなり、4ケタの数字の後に「.(コンマ)」がつけられるようになります。

 現在の見慣れたナンバープレートの原型ができ上がったのは戦後です。1951年(昭和26)年に「道路運送車両法」が施行されると、道府県名を表す漢字1文字に数字と車両ナンバーという形式が採用されます。「道府県名」とした通り、東京都だけはこのときもまだ地名表記はないままでした。1955年(昭和30)年3月には東京のナンバープレートにも地名が追加されたほか、ひらがなでの表記も加わりました。

 なお、当時は地名が一文字で表現される地名一文字ナンバーでしたが1980年代後半から順次、フル表記へと変更されるようになりました。
 また、2000年代に入ってからは自家用軽自動車のプレートが必ずしも黄色ではなくてよくなりました。これは、軽自動車の性能向上により高速道路でも普通車と同様の性能が発揮できるようになり、これまでの制限速度だった80km/hから100km/hに変わったことと、ETCの普及で高速料金の取り間違いが減ったことなどが関係しています。そのため、軽自動車でも白地のプレートが使われ始め、ラグビーワールドカップや東京オリンピックの特別仕様ナンバープレートが登場しています。

 私が乗り始めた頃は5ナンバーや3ナンバーが1桁しかありませんでしたが今は3桁になっていますね。地名にしてもずいぶん増えたと思います。更に番号にこだわる人は同じ数字のぞろ目とか排気量の数字とかをつけている人もいます。地名については今でも横浜や神戸、品川なんかが人気があるようです。
元記事:乗り物ニュース





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アメリカでは、車を買ったら車両登録を自分で運輸局に登録しに行きますし、自分でナンバープレートを付けるってことをします。そしてナンバープレートも各州で幾種類のプレートがあり、絵柄を選べるってのがいいですよ。
2023.02.04 06:50 | URL | TORU #- [edit]
TORU様
おはよう御座います。

私も20代の頃は自分で陸運局に行って登録したりしていました。
なんでもやってみようという行動力がなせるわざです。
今ではそんな気はみじんも起きません。(笑)

愛新覚羅
2023.02.04 07:35 | URL | aishinkakura #- [edit]

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